作文置き場

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ブラックバイトで主張される責任論の妥当性

大学生にとって最も身近な労働形態であるアルバイト1 だが、近年、一部の劣悪な労働環境がブラックバイトと呼ばれ、社会問題視されている。

 

大学生が遭遇するブラックバイトは「非正規雇用労働の基幹労働者化が進む中で登場した。低賃金であるにも関わらず、正規雇用労働者並みの義務やノルマを課されるなど、学生生活に支障をきたすほどの重労働を強いられることが多い」2 と定義されている。学生が被る被害としては、単位を落としたり、留年や中退といった事態にまで発展することなどが挙げられる。一見するとこれらは断れば済む話のように思えるが、学費の上昇、仕送り額の減少、アルバイトのプレ就活としての位置づけなど、学生がアルバイトを辞めにくい環境的な様々な要因が存在し、「嫌なら辞めればいい」という自己責任論へと安易に帰することに疑問が投げかけられている。なかでも企業が学生バイトを職場に組み込む有効な手段として、過剰に責任感を煽る手法が先行研究によって明らかにされている3。具体的には、辞めたい・休みたいという学生に対し「「社会人としての自覚はないのか」「無責任じゃないか」「ほかのアルバイトの同僚たちも頑張ってるのに」「自分勝手だね」「ケツもてよ」などの言葉を浴びせ」3 、学生が「本物」の責任感をもつように仕向けるのである。すると学生と職場との一体化が進んでゆき、不本意ながら渋々従うどころか、お客様のため・同僚のためというように、自ら進んで過剰な仕事量を引き受けてしまうことさえある。


そこでこのレポートでは責任という概念に着目し、ブラックバイト職場が主張する先のような責任観・責任論が果たして妥当といえるのか、学生に限らず低賃金で働く労働者が負うべき責任とはどのようなものかについて考察する。

 

手法としては、まずブラックバイト職場の主張を一つの命題として整理し、次にそこに登場する言葉の意味についてそれぞれ吟味する。そのうえで、最後にその命題が真であると言えるのかについて検討する。

 

 

第一章 命題提起及び責任概念の前提


まず上記引用文の論旨を読み取ると、ブラックバイト職場は正社員と同様の重い責任こそを果たすべき責任であるとし、それを負わないような姿勢を非難しているようである。つまり主語を明確にし、主張を整理すると命題は以下の通りとなる。

 

① 〈「アルバイト(低賃金労働者)」は「重い責任のある仕事をする」〉は、真であるべきである。

 

では、責任の重い/軽い仕事とはいったいどのような仕事を指すのか。それは医者や政治家に代表されるように、その仕事の遂行如何によって、ある個人または集団の利益や損失に多大な影響を与えうる仕事だと言うことができるだろう4 。たとえば医者が手術を失敗すれば、この世で唯一無二の命という価値が不可逆的に、未来永劫失われる。政治家の働きが良いものであれば、その施策の恩恵を何万人もの人間が受けられ、社会全体の幸福は増大する。つまり、行為の後に引き起こされるだろう帰結が(利益にしろ損失にしろ)重大であればあるほど、その行為の「責任は重い」と評することができる。

 

ここで注意する必要があるのは、責任という概念は因果的決定論や自由意志論で理解すべきものではないということだ。因果的決定論とは、この宇宙で起こる全ての出来事を原因と結果の連鎖だとみなす考え方である。まず、あるAという結果が起きたとき、それを起こしたA´という原因がある。しかしこのA´が発生するためには更なる原因であるA´´があったことになり、さらにその前にはA´´の原因であるA´´´があったことになり……というように、ある時点の出来事の原因は、無限に遡ることができる。この論を採用すると、ある帰結の原因は行為者という単位をたやすくすり抜け、宇宙誕生の瞬間にまで求めることができてしまうのである。木からリンゴが落ちる、このときリンゴには落下した責任はない。しかしある男が殺意に駆られて銃の引き金を引き、放たれた銃弾が相手の頭に当たって命が絶たれる、このような場合には私たちは通常、男に責を問うことが可能だと考える。つまり責任とは、ある行為を「他のようにも振る舞い得た」ときにだけ成立する概念だといえる5。しかし因果的決定論では、原因と結果の連鎖は物理法則的に最初から決まっていたことであり、決して「他のようには振る舞い得なかった」とされるのである。行為に意志が介在しないとみる限り、その行為主体には責任がなくなり、どんな罪も罰も妥当たりえなくなる。


一方で、この「他のようにも振る舞い得た」という考え方は自由意志論と呼ばれる。「自由意志の下になされた行為だから、それに対して責任を負うと考えられて」6 いるからこそ刑法理念は成り立つ。では自由意志論のほうが全面的に正しいのかというと、一概にそうとも言えない。自由意志を想定すると、この世界の物理法則を超越した外部からの介入、つまり霊魂の実在を認めることと同義だという強力な反論を受けることになってしまう。

 

この二つの論はどちらが正しいのか、両立可能なのか、人間は自由な存在なのかといった議論は長い間続いてきた哲学的問題群である。

 

 

第二章 寄与と責任


それでは、責任はどのように捉えるのが最も矛盾がないのか。その考察を進める前に、今一度、責任の扱われ方について整理したい。

 

一般に責任の所在が問題となるときは、何らかの分配に関わるときである。またこのとき肝要なのは、ある出来事が起きた際に、その結果に誰がどれほどの割合で寄与していたかということである。アリストテレスの配分的正義では、ある配分が行われる際には、その配分は何らかの価値に則ってなされることが正義だとしている7。例えばある二人の人間が協力して100枚の金貨(配分されるもの)を得たとしたら、双方が妥当だと思えるような配分の仕方は、その成果に互いがどれだけ寄与していたかの割合に比例させることである。仮に、この場合の二人ともが同じくらい成果に寄与しているのに、一方が99枚の金貨を貰い、もう一方が1枚の金貨しか貰っていないといった場合には、誰もが不当だと感じるだろう。また、二人が共同で犯罪を行い、100の罪を分け合うといった場合にも同様のことがいえる。アリストテレスはこのような感覚を「議論なしでもすべての人に了解されること」7 だとして、正義の原則に適うものと位置付けている。だがしかし、なぜその分け方を人間は正しいと思ってしまうのかについてまでは触れられていない。

 

このように、人間社会を基礎づける原則は物理などの自然法則とは違い、根拠の元を辿っていくと必ずしも論理的・絶対的といえるものはなく、人間社会の感覚や感情といったものに由来しているのである。


そこで、責任概念を捉えるもう一つの見方がある。小坂井敏晶『責任という虚構』では以下のように述べられる。

 

  「そもそも犯罪とはなにか。それは社会あるいは共同体に対する侮辱であり反逆に他ならない。社会秩序が破られると、それに対して社会の感情的反応が現れる。[……]そこで犯罪を象徴する対象が選ばれ、この犯罪のシンボルが破壊される儀式を通して共同体の秩序が回復される」。(191頁)(強調原著者)

  「責任があるから罰せられるのではなく、逆に罰せられることが責任の本質をなす」。(192頁)

  「自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会が宣言するのである。言い換えるならば自由は責任のための必要条件ではなく逆に、[……]論理的に要請される社会的虚構に他ならない」。(238頁)

 

つまり責任とは以下のような概念だと理解できる。まず社会のなかである出来事がなんらかの反響を起こすとき、安定した状態から不安定な状態へと移行する。次に、不安定な状態を解消するために、その起きた出来事に誰が、どれだけ寄与していたかを社会が事後的に想定し、罪にしろ報酬にしろ、相応しいものを、相応しい主体に分配する。そしてこの分配が相応しいと感じられたとき、はじめて社会は平静状態へと戻る。そして未来に起こるだろう出来事に責任をもつという行為は、このような事後想定の援用にすぎない。

 

つまり責任とは、行為主体者が担いうる能力や、現実として「他のようにも振る舞い得た」可能性を指すのではない。もっと正確にいうと責任とは、行為主体者が担いうる【だろうと社会が感ずるような】能力であり、「他のようにも振る舞い得た」【だろうと社会が感ずるような】可能性なのである。

 

このだろうという表現には、人間は責任を担いうる主体でなくてはならないという、社会の要請や願望が込められているといえる。


これらの議論を踏まえて、アリストテレスの分配的正義を仕事と報酬の関係に当てはめ、命題にすると次のようになる。

 

② 〈「責任の重い(利益や損失に多大な影響を与えるだろう)仕事をする」ならば、「(責任に比例した)高い報酬を得る」〉は、真であるべきである。

 

この最後の「べきである」という表現には、正義論が持つ理想の社会像が反映されている。社会の構成員が②の命題に同意できる限り、先に提起したブラックバイトが主張する命題

 

①〈「アルバイト(低賃金労働者)」は「重い責任のある仕事をする」〉は、真であるべきである。

 

は成り立たない。なぜなら②の対偶もまた真であるとすべきなら、①と矛盾するからである。

 

②の対偶
〈「(責任に比例した)高い報酬を得ない」ならば、「責任の重い(利益や損失に多大な影響を与えるだろう)仕事をしない」〉は、真であるべきである。

 

 

結論


最後に全体のまとめを述べる。責任とはそもそも、普段の生活で多用されるほどには分かり易くはない、なんとも捉え難い概念であった。

 

責任の概念が成り立つためには、本当に自由意志といえるものが存在するのかといった問題は、実はさほど重要ではない。責任は、ただ必要だから要請されるといった、ある種の社会的虚構だと理解できるのである。

 

そして、その虚構が支持される根本にあるのは必ずしも論理的といえない、頼りない人間の感覚であった。突き詰めると、人間が本来持っているこの感覚に適合するか否かが、主体が負うべき責任と負うべきでない責任との間に線を引くのである。

 


負うべきでない責任を退けるとき、その理由を明確に説明できないと、人はしばしば罪悪感を抱いてしまう。そして罪悪感は、人の行動を縛る強力な力をもつ。本稿で述べたような責任論理を自身の中で明確に区別しておくことは、自由な判断を下すうえで小さくない役割を占めるだろうと考える。

 

 

________________________________________ 
1.独立行政法人日本学生支援機構(JASSO)https://www.jasso.go.jp/about/statistics/gakusei_chosa/2016.html 2018/07/27/15:45
2.大内裕和『ブラックバイトに騙されるな!』2016年,集英社
3.大内裕和/今野 晴貴『ブラックバイト 体育会経済が日本を滅ぼす』2017年, 堀之内出版
4.大庭健『「責任」ってなに?』2005年,講談社,80ページ
5.同上42ページ
6.小坂井敏晶『責任という虚構』2008年,東京大学出版会,156ページ
7.アリストテレス『ニコマコス倫理学 西洋古典叢書』2002年,京都大学学術出版会 207ページ

「血と灰の女王」打切り騒動に見られる問題点と、ファンにできる8つのこと

 この記事は、マンガワンにて連載中「血と灰の女王」9月19日更新分で知らされた打ち切りの危機について、「なにか読者に出来ることはないのだろうか?」と 一ファンである自分が無い頭を絞って考えたことについて記載しています。「血と灰の女王」に打ち切りになって欲しくない!という方が今後起こすアクションについて、一つの参考にして頂ければ……との思いから今この記事を書いています。ツイッターではしょっちゅう呟いてますが、こういったブログ記事をまともな形で書くのは初めてなので、お見苦しい点があるやも知れません。ご容赦ください。

 

早速ですが本題に入ります。

 

マンガワンで大人気連載中(のはず)「血と灰の女王」がいま、作品終了の瀬戸際に立たされています!!

 

・発端

 ことの発端は、マンガワンにて9/19に更新された「血と灰の女王」無料ページにおけるこの告知画像でした。

 

【画像はマンガワンでの公開期間が過ぎたため掲載終了しました。17.9.26.0:30】

 

 

 要するに、10月中旬ごろまでに1巻があと1000冊売れなければ打ち切りだとのこと。発言内容に賛否はあるでしょうが、そこはひとまず置いておきます。この告知を受けていま、コメントページは大荒れしています。私も、この作品に対して自分が感じる面白さを全く疑っていなかったため、とても衝撃を受けました。1000冊売れる売れないという売上げの話はともかくとして、編集部が早期終了の判断を下しているその事実にまず反感を抱きました。この決定にはどうしても納得できない、正当性を感じない。私がそう考えているのは主観も勿論入っておりますが、恐らくそれだけではありません。私がなぜそう感じているか、これから説明を試みたいと思います。

 

・「血と灰の女王」とは?今作のマンガワン内における立ち位置

 2016年12月30日にマンガワンで連載開始して以来、第2話でデイリーランキングにて実質のアプリ看板作品である「モブサイコ100」を抑え1位の座を獲得した後も、更新日にはほぼ必ず1位をとり続けていました。開始4ヶ月ほどでその人気は定着し、マンガワン内での「看板作品」という地位を獲得するに至りました。また、人気の指標のひとつである読者の「お気に入り」数も、17年9月21日現在で30万近く得ています。これらの事実は「血と灰の女王」が、マンガワンアプリの中でも上位を誇る人気を集めてきたという客観的な証拠であると考えられます。

 f:id:twgoksog:20170920233618p:image他の連載より一際大きく表示されていますね。

 

 ・マンガワンは単行本が売れにくい構造を持っている

 まず最初に、予備知識としてかんたんにマンガワンというアプリについて触れておきます。

 このアプリでは「ライフ」を使うことで漫画を1話読めますが、これは毎日、無料で8つ貰うことができます。この無料ライフは使わなければ消えてしまうので貯蓄できませんが、一日一回まわせるおみくじというシステムを使えば「SPライフ」が貰え、こちらのSPライフはこつこつ貯めることができます。さらにマンガワンが特徴的なのは、連載作品の過去話を全て公開していることです。大抵の漫画アプリでは、1話から3話ぐらいまでと最新2,3話くらいの計6話ほどしか公開していませんが、 マンガワンでは1話から最新話までのすべてが公開されています。

 これらを合わせて考えると、つまりマンガワンでは、時間さえかければ、「全ての作品」の「全ての話」を、無料で読むことができるようになっているのです。

 

 これはマンガアプリとしては大きな強みですが、気に入った作品をいつでも読み返せるため、読者が単行本を購入する主な理由の一つが無くなってしまっています。単行本が売れにくい土壌が形成されているといっても過言ではないでしょう。

 

・商業マンガなんだから、お金にならなければ終了するのは当たり前

 と言っても、商業として漫画を連載している以上、稼げないコンテンツを続ける理由は、出版社にも作者にもない。いつまで続けてもお金になる見込みがない作品であれば、さっさと畳み、新しいネタで新しい連載を始めた方が商業的には得策です。そもそも、アプリ内の連載作品はみな同様の条件で競争しており、そのなかで売れている作品もちゃんとある以上、そこで受けた評価(売上げ)は適正なものであり、何もおかしいことはないのではないか? そう考えるのがまず当然の流れだと思います。

ですが、それはどんな場合でも正しいのでしょうか?

 

・「良いモノは黙ってても売れる」なら、この世に営業職は存在しない

 単行本が売れない理由は沢山考えられます。単純に内容がつまらないのか、絵が受け入れられていないのか、多くの人に知られていないのか、表紙が購買意欲をかきたてないのか、値段が高いのか、書店での扱いが小さいのか……etc.  これらの要素の中から、これだとハッキリ一つに断定することはできません。誰もが様々なデータを集め、分析し、推測するしかない。モノが売れる要素も、売れない要素も、一つに絞り込むことは不可能です。

 今回のケースで浮かぶ第1の疑問は、1000万ダウンロードされている漫画アプリで、更新日にランキング1位の座を毎回ほしいままにし、週間ランキングでもアプリ全体で高い順位を誇り、コメント欄でも大勢の読者から好評を得ているような作品が、「内容が単純につまらない」という理由に果たして該当するのだろうか? という点に尽きます。単行本が売れていないのは、内容以外の部分が原因である可能性は、本当にないのでしょうか? 余談ですが「血と灰の女王」の単行本告知ページは、他作品と比べお世辞にも力が入っているとは言い難いものでした。モノが売れるには、営業や販売促進の力が絶対に必要なはずです。編集部はその責任を十分に果たした、人事を尽くしたと本当に言えるのでしょうか? そこが読者には分からない。少なくとも本作品の周囲ではほとんど見えてこない。

 

(※この記事をここまで読んで下さった方で、もしまだ「血と灰の女王」を読んだことがないという方がおられましたら、ぜひご自身の目で確かめて頂ければと思います。売れなくて当然の漫画なのか? それとも、支持を得るに値する漫画なのか? 信じられるものが分からないこんな時代だからこそ、ご自身の感性と審美眼にのみ従って確かめて頂きたいのです。もしつまらないと思われたら、それはそれということで……。でも、こんなこと言うからには勿論、私個人は絶対に揺るぎなく面白い少年漫画だと信じていることは確かです。

http://manga-one.com/info.php?title_id=243

無料で読めますので、こちらからスマホでどうぞ。)

 

 

・いまのマンガワンの構造と評価指標の間には、決定的にズレがある

 第2の疑問点は、編集部が今回の判断を下すに至った理由です。先述のとおりマンガワンは単行本が売れにくい構造を持っていますが、それは勿論、アプリ立ち上げ時から予想できた話でした。なのでマンガワンでは、読者が応援したい作品に「投票」することで、作者にボーナスが入る仕組みがあります。投票は無料でもできますが、有料の「チケット」を使うと10票ぶんの投票になります。マンガワンでは単行本が売れないぶん、この「チケット」や広告収入で収益を上げていくシステムのはずでした。つまり、単行本が売れないのは折り込み済みであり、だからこその投票システムで作品の人気を測る仕様だったはずなのに、単行本売上げの方をメインの指標として連載存続を決めている現状は、ファンとしては釈然としません。自分達が応援になると思って今まで押してきた投票ボタンとは、何だったのか? 人気の指標として機能しないなら、何のためのランキングなのだろうか? 投票ボタンには本当に意味があるのか? これが第2の疑問点です。

 

 

・ファンがいま、出来る8つのこと

 ここまで大きく分けて2つの疑問点を挙げました。

1. 「血と灰の女王」が内容は問題なさそうなのに売れていないのは、別の理由(売り方など)が原因ではないか?

2. マンガワンは投票が作品への応援になるとしてきたが、それは嘘だったのか?

 これらの疑問について残念ながら、これ以上のことを推察することはできません……。本当のところの事情が分かる人なんて、誰もいないと思います。

マンガワン編集部の人以外。

分からないことがあった時、どうするか? 先生でも親でも上司でも、皆言うことは同じです。分かる人に訊けばいいんです!!

① アプリ内「お問い合わせ」から、打ち切り決定への不満を伝える

 考えてみてください。「大勢の顧客が毎週楽しみにして、好評を得ているはずのサービスが、突然終了してしまう」という状況において、企業側になぜ終了するのかの説明を求めることは、そんなに理不尽な話でしょうか? 私はそうは思えません。おかしな事が起きたと感じたら、何故そんなことするのかを訊いたって、別に問題ないはずです。 という理屈で、マンガワンに読者の声を届けてやりましょう。  訊くとはいったものの、要は「打ち切りに不満を持つ読者がいる」ということが編集部の方に伝わればよいので、内容は難しく考えなくても大丈夫ですが、できれば下記の文言を盛り込んでおくとよいと思います。

 ・自分は「血と灰の女王」を楽しみにしている立場の読者である。

 ・これだけ(客観的に)人気のある作品を終了させてしまう編集部の判断基準は、一体どうなっているのか?

 ・投票システムやランキングに意味はないのか?

 ・必ずしも返答は望まない

 ・その他不満点疑問点。

 普通はここまでする人はなかなか居ないと思います。しかしだからこそ、相対的に一つ一つの問い合わせに重みが付加されるはずです。ここに投じる一票は決して無駄ではないと思います。もしこれをする人が大勢いたならば、多大な反響があるということを編集部の方も認めやすくなることでしょう。

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設定→お問い合わせ→その他アプリ全般に関するお問い合わせ(iOS版)

ヘルプ→お問い合わせ→その他アプリ全般に関するお問い合わせ(Android版)

PCでもこちらから問い合わせできます。   

http://manga-one.com/

 

 

その他、作品を応援する立場としてできることを列記します。

 

② マンガワンで「血と灰の女王」に投票する。

 効果が疑問視されている真っ最中ですが、無いよりは絶対にましです。ついでに応援コメントもあると良いと思います。

 

③ 「血と灰の女王」本編の最終ページにある広告を踏む

 稼げるコンテンツであることをアピールしましょう。

 

④ アマゾン等の外部サイトで書評を書く。高評価をつける。

 マンガワンを利用しない新規の人に向けてアピールする、有効な応援手段です。

 

⑤ SNSを利用して作品の布教、応援をする

 今の時代、SNSの力は侮れません。タグを付けるとより共有されやすくなり効果が高くなります。作品の魅力や面白さを自分の言葉で語りましょう。あなたの言葉でこそ響く人たちが、きっといるはずです。

 

⑥ リアルで布教する

 現実の友達にもさりげなくダイマしましょう。しつこく宣伝しすぎてウザがられないよう気をつけて下さい。

 

⑦ ファンレターを書く

 直接的には打ち切りの危機から救えるわけではありませんが、きっとバコ先生のモチベーションには多大な影響があるはずです。メールや手紙は、作品の評価にも絶大な威力を発揮するそうです!(ソースはTwitter。)

 

⑧ 単行本を購入する。

 ここが難しいところですが……。

 私は、複数買いや本来買うつもりのない人にまで買って!とお願いするのは、絶対に間違っていると思っています。そんなつもりはさらさらありません。そんなことを人に推奨するなんてお門違いも甚だしい。お金のかかることですから、誰もが無尽蔵にマンガにお金を割ける状況じゃないのは当たり前ですし、自分のお金の使い道を、自分で決める権利があるのも当然です。

 もし仮に打ち切られても誰かが死ぬわけじゃないですし、バコ先生もコメントで仰っていたように、漫画は楽しむためのものであるはずです。もし単行本が購入されるとしたら、その理由は1000冊売れる売れないとか、連載の存続は関係なく、ただ「作品が好きだから」買われるものであってほしいと、作品の一ファンとして純粋に思っています。

 

 

・まとめ

 人気があるにも関わらず打ち切りの憂き目に晒されている「血と灰の女王」の現状には、大いに納得のいかない点があり、何かおかしいと感じている人は少なくないはず。そのモヤモヤを編集部に問いただすことは、そうおかしなことでもない、ある意味自然な成り行きといってもいい。そこで集まった声をどう受け止め、どう使うかは、マンガワン編集部が決めればいいことです。私たちはただ作品を楽しみにしている一読者として、まだ取り返しのつく内に、精一杯編集部に声を届けましょう!!

 

ここまで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!

(もしよければ、より多くの「血と灰」好きな方に見て頂けるよう、この記事をツイートなどして頂けるととてもありがたいです。またこの記事への指摘やコメントも随時募集しておりますので、どうぞお気軽に書いてください!宜しくお願いしますm(_ _)m)

 

 

追記:

マンガワン9月26日更新分作者コメントにて「血と灰の女王」連載継続の報せがありました! 1週間の間でさっそく1000冊売れたそうで、やはり本質的な人気はしっかりあったということでしょう。

 しかし、今後の続刊も売上げが良くなるとは限りません。4巻打ち切りは無くなっても、5巻、6巻で終わらないという保証はありませんし、今回のこういった売り方や編集部への不信感が、いまマンガワン読者たちに募っています。作品は素晴らしいのに、外側でけちがついてしまっては本当に居た堪れません。我々ファンとしては、出来れば今後の続刊も購入し、引き続き編集部の動向をチェックするという姿勢を持った方がよいと思われます。今回のような非常に緊急的な手段は恐らく二度と使えないでしょうし、次は無警告で作品が終了するなんてことは十分あり得ます。まだまだ1人1人の応援が必要なのが本作品の現状です。私も引き続きツイッターやこのブログで応援して行きたいと思います。(2017/09/27/12:00)

 

中二の夏の話

 中2の夏頃、同じクラスの友達から公園で花火しようと誘われたことがあった。

 その友達とは近所に住んでることもあって昔はよく遊んでいたものの、中2当時の時点で片やクラスの中心グループ的な立ち位置、片やぱっとしない漫画好きオタク、という具合にすでに明暗が分かれ始めて(勿論後者が自分)いて疎遠になりかけてはいたが、まだ多少の親交は残っている…という距離感だった。何はともあれ、久々の誘いは素直に嬉しくもあったので、夕飯を食べてからすぐ向かった。 

 指定された公園は近場にある、自転車で一周しても10分はかかるような大きな緑地公園だった。行ってみると、普段クラスで少し話す程度の中心グループ数人がいた。時刻はすでに夜で、辺りは真っ暗だった。自分達以外に人影は一つもなく、公園は貸切状態だった。

 さっそく花火が始まると、彼らは自分がそれまでやったことのなかったような、刺激的な遊び方をはじめた。設置型の火柱を上げるタイプの花火を手に持って振り回したり、火柱の上を飛び越えたり、ロケット花火を使って撃ち合ったりした。撃ち合いには正直びびりきっていたものの、やってみると意外と楽しかった覚えがある。

 そんな風にはしゃいでいた折のこと、詳細は憶えていないが、誰かが近くの木の幹に止まってうるさかったセミに目をつけ、それを空になっていたペットボトルを使って捕獲しはじめた。間口の広いタイプのボトルだったので、セミ程度の大きさなら難なく入れることができたようだった。ボトルは、セミが逃げ出せないように口を下にして地面に置かれた。

 改めてみんな、ノリが良い奴らばかりだった。口々にヒデーwとか言いながら、ロケット花火を3本ほど取り出したり、導火線だけがちょうど外に出るようにそれをボトルに突っ込んだりといった「準備」を始めた。
 自分はその時、心中ではイヤなものを感じてはいたが、そのワイワイした雰囲気の中でやめようなんて到底言えなかったし、かつ本気で止めようとも特に思わなかった。もやっとしながらただ傍観していただけだった。

 苦心の末に上手く導火線が3本重なるようにできたらしく、早速チャッカマンが近づいていった。導火線に火がつけられ、火薬部分まで到達してシューと弱い火花が散り始める。中のセミは直前までジージーと鳴いていた。全員がその一点に集中して、緊張が高まった。

 数秒後、ちょっとだけ甲高い音が鳴り、ボトルがほんの少し明滅した。ボトルの内側が一瞬で真っ黒になり、音は無くなった。

 皆、バンバンという派手な爆発を期待していただけに肩すかしな結果だった。苛立った誰かが、興が冷めたと言わんばかりにペットボトルを蹴飛ばした。ボトルはべこりと潰れ、よく飛んでいった。その後は、気を取り直して暫くねずみ花火などで遊んだりした。そうしている内に花火も尽き、時間も遅くなっていたので解散となった。帰り道、誘ってくれた例の友達ともじゃーねと言って別れた。

 角を曲がって一人になってから自分は、ブレーキの音が鳴らないよう気をつけながら、自転車を止めた。そしてその場で1分くらい待ってから、いま来たのとは別のルートを選んでさっきの公園へと向かった。

 

 戻って何がしたいのか、何故戻るのかは、自分でもよく分からなかった。ちゃちな罪悪感があったし、もしかすると好奇心もあった。さっきはセミが結局どんな状態になったかが判然としなかったからだ。でも戻っても、その中身を開けてまで、本当に自分が見たいと思っているのかは分からなかった。

 そんなことを考えてる内に公園内に入り、先ほど花火をやっていた辺りまで来た。さっきは人といたので気にならなかったのだろうか、やたら蝉や鈴虫なんかの鳴き声がうるさいように感じられた。でも、同時に静寂さがあった。自分の息遣いや、自転車を押すカラカラという音がよく聞こえて、神経が張り詰めてくるのが分かった。自転車のスタンドを下ろしてへこんでいるペットボトルを眺めると、やはり見える範囲は内側から真っ黒になっていた。

 ここまで来たら…という思いのもと、恐る恐るつまみ上げてヘコミを直し、えいやと逆さにした。ぱしゃりと音がして、意外にも原型を留めたままのセミがあっさり出てきた。鼓動が早くなった。

 

 なんだか罪悪感が大きくなってきて、次に何をすればいいか思い浮かばず、ただしゃがみこんだままセミから目が離せなかった。…すると、突然ジジジという不快ともいえる大音量と共に、いまペットボトルから出てきたばかりのセミが、羽ばたいた。俺はびっくりして、奇声を上げて跳びのいた。腕を自転車にぶつけて倒した。セミはそのままふらふらと近くの公園灯へと飛んでいって、灯りの届く範囲を通り過ぎ、その向こうに姿を消した。

 生きてたのか、とかこの為にここまで来たのかな、とか混乱しつつ色んな考えが頭を巡った。ぶつけた腕がじんじんと痛かった。でもそれも、セミが人間にやり返した結果の痛みなのかと思うと、なんだか気が軽くなった。息が整ってきて、事態を飲み込めてくると、これで話に落ちが着いた…という謎の安心感が湧いてくる。なんだか、晴れやかな気分にさえなっていた。

 それ以上することもなかったので、自転車を起こして家に向かい、のろのろと走り出した。

 

 

 蒸し暑い夜だった。
 風が生温く、体に受けても気持ち悪いだけだった。
 汗ばんだTシャツが不快だった。
 周囲の聴き分けられないほど無数の虫の鳴き声がうるさかった。等間隔に並ぶ照明の下を通るたび、眼前に蚊柱が現れ、気を抜くとすぐ口や目に入ってくる。

 その場のすべてが、自分の不快感を煽っていた。

 そんなせいか、一旦は過ぎ去ったと思った心のモヤモヤが、またぞろ頭を擡げ始めてきた。ペダルを漕ぐごとに気分が塗り変わっていく。

 

 さっき俺はこれで落ちがついたなんて安心したが、そんなのってあるか?自分が直接やった訳でもなく、止めようとすら思わなかった癖に身勝手な罪悪感を抱き、かつ生きていると分かった途端胸を撫で下ろす。たまたまぶつかった腕を仕返しだとか、バチが当たったとか思っている。何もかもが自分のフィルターを通し、捻じ曲げ、いいように置き換えたものばかりだ。最初から最後まで現実と剥離している。

 あの時もしセミが死んでいたなら、今ごろ暗い気持ちで家路に着いてた筈だ。いや、あのセミは飛んでいったが、今にも死んでるかもしれない。なら何故今、良い気分で帰ろうとしてたんだ?  なにか間違ってる気がする、そら寒いものがある。漠然とした違和感がある。そうして思い当たった。

 一体、「何」が自分の気分を弛緩させたのか。

 あのセミは、自分が戻らなければ、ボトルの中でそのまま死んでいた。あのセミは、自分が解放したからこそ、残りの数日か数時間は自由に生きていられる。

 

つまり自分は、「善いことをした」と思っていた。

 

 その意識があったからこそ、晴れやかな気分にもなっていた。その事実に気づいたとき、なにかとても苦く重いものが、口の中にじわりと広がった気がした。

 

 自分は普段から当然に虫を殺していたし、本当ならそんなセミ一匹のことで思い悩む必要はなかった。しかしその時、そのセミに対してだけ、自分がどんな気持ちを抱けばいいのか、どう捉えるのが正しいのかが、もう一切分からなくなった。その分からなさからは逃げ場がなく、どうしようもなく不安で、気持ち悪かった。 

 その時の自分は、一連の出来事を噛み砕いてなんとしても結論や教訓めいたものを得たかったが、いくら考えても叶いそうになかった。


 腕の痛みは公園を出る頃にはとっくに引いていた。家に帰って電灯の爛々とした明かりの下で確認したが、青あざ一つできてはいなかった。 

 

<お終い>